0101.0102


「イヴェ君、目綺麗だね」

午後のテラス。小鳥は歌い、庭の花は咲き誇る
誰にも邪魔されることは無い
いつも賑やかな環境にいるせいかこのテラスだけ世界から切り取られた錯覚に陥る
そんな別世界に大好きで大切で尊敬する人と二人きり
この幸福の時を僕はまるで時間が止まった様に思えた。
時間が止まるだなんてあり得ないのに。でもこのままなら止まってしまいたい
ぼんやりと馬鹿げたことを考えている僕を一瞬で現実に引き戻す愛する人の声
愛する人、陛下はテーブル越しに僕の目を、僕の目の奥を覗いていた。
やはり陛下に褒められるのは嬉しくて自然と微笑んでしまう。
今きっと僕顔赤くなってる。
自覚しながらも頬の赤みを自分で調節する術がないから困ったものである。

今日だけは何事も上手くいく様にと信じてもいない【神様】に願ってみた。

姫君達に怒られながら何度も何度も練習を重ねて初めて人が飲めるラインと合格が出されたアールグレイ。
お店の中で怪しまれながら1時間かけて選んだ酸味の利いた葡萄酒のケーキ。
テラスの掃除だって、庭の手入れだって、全ては今日の為。

こんなにも努力した。きっと大丈夫。何度も何度も自分に言い聞かせる

「陛下…」
「ん?」

恐る恐るお味のほうは?と訊いてみると予想外の言葉が返ってきた

「紅茶もケーキも上出来だ。それから君も」

言われたことを理解できず、頭の中にいくつもの疑問符が浮かぶ
僕が理解しないことを最初から予想していたかのようにくすくすと笑いながら
陛下は僕の胸にある【虐殺の女王】を2回突く。

「マダム・ミシェル。今日は一段と美しいですね」
「僕が、磨いたんです」
「イヴェ君が…?」
「マダムだって久しぶりに陛下に会うから。『貴方と同じように私に取っても特別な日なんだから』って言ってるみたいに光ってて…」
「それで磨いたってことか…」

前置きはさておき、本題に入ろうと言い陛下が手帳を開く。

「来年は新しい物語を紡ぐ予定…とおっしゃってましたよね。どのぐらい忙しくなります?」
「まぁ…来年もまた忙しくなりそうかな…昔と同じ自分だったらこのスケジュールはぶっ倒れそうだよ」

困った様に笑いながら手帳を捲っていく

今年の冬は随分と遅かったねと手帳片手にアールグレイを飲む陛下。
それに対し小さく返事をして庭を眺める僕。

冬が遅かった。それは冬そのものの訪れではなく僕の目覚めること。
去年、一昨年は人々が肌寒いと感じてから2,3日で目覚めていた
しかし今年となれば例年の三倍以上、一週間近くかかってしまった
目覚めるのが遅いと言うことは皆と一緒にいる時間が減ることで。

『無限の中の小さな自分。誰しもが愛に報われるわけではない。
それを知っていても愛を求めるなら愛を忘れる覚悟と愛を捨てる覚悟を持って生きなさい』

陛下に出会って初めてお茶をしたときの最後に言われた言葉。
また今度と言う前に何気なく言われたのに今も心の奥から離れない

もう一度眠りについてずっと起きることがなかったら
皆との関わり、思い、【物語】を僕は捨てることが、忘れることが出来るだろうか。

ネガティブな思考を断ち切るように突然頭の中に響き渡る鐘の音
毎日毎日絶やすことなく午後三時に鳴る
その音で時間が止まっていることを完全的に否定されてしまった
あり得ないとは分かっていたがどこか期待していた自分が嫌になる

「……陛下…」

目覚めたばかりの掠れた声で名前を呟くと
どうしたのと、陛下は優しく問うてくる

これ以上の幸福を求めたら
随分前から誰にも伝えたことの無い秘めた想いを伝えてしまったら
自分が
この関係が壊れてしまうのではないか

陛下も、僕も変わってゆく。
新しい地平線も増えて僕のことなんか忘れてしまうかもしれない
この関係がずっと続く訳がない

忙しくなる陛下を見て一緒に笑える時間がもうこれっきりかもしれないと思って。
二人で泣いて笑って一人で悩んで焦って

拒絶されるのを覚悟して
愛を捨てるのを覚悟して
想いを忘れるのを覚悟して

叶わなくとも、想いが届くように

緊張で、未来への恐怖で震える僕の唇は
しっかりと言葉を紡いだ


「…好き…です」